二〇〇五年五月五日
中国共産党政権はいつまでもつのか。
中国の歴史を手短に語ってみましょう。
中国の歴史は王朝交替の歴史です。
中国文明が生まれたのは黄河流域でした。黄土地帯は非常に乾燥し人が生きるのには過酷な場所でした。人々が暮らしていたのは黄河流域に点在する水の便のいい地域です。しかしそういう場所は同時に洪水を起こしやすい危険な所でもありました。
その地で人々は麦を作りました。農耕が開始されれば人口が飛躍的に増大します。人口が増えれば文明が生じます。
しかし麦作一本に依存する社会は非常にもろいものです。ひとたび天災がおこれば、大量の餓死者が発生します。
だからこの地では大規模な治水が必要なのです。水を治めるものが中国の王となり皇帝となりました。大規模な治水を行うには大規模な行政組織が必要です。中国は独自の官僚制を発達させました。
しかし何百年か過ぎ王朝の末期ともなれば官僚は腐敗し、賄賂が横行するようになります。ついには治水システムにほころびが生じます。
そうなれば自然災害が頻発するようになり、たちまち大量の流民が発生します。流民たちは自分たちを食べさせてくれる人物のもとに集まり官舎を襲います。いわゆる農民の反乱です。そうして各地で膨れ上がった勢力は集散離合を繰り返します。そうした勢力を糾合した親玉から新しい王朝が始まります。漢の劉邦、明の朱元璋などがそうでした。
あるいは、王朝の乱れに乗じ異民族が侵入することもあります。時として彼らは中国を征服し王朝を築きました。女真の金や清、蒙古の元などがそうです。
中国の歴史はこの繰り返しです。中国の為政者の課題は三つしかありません。膨大な人口をどうやって食わせるかということ、そして官僚の腐敗をいかに防ぐかということ、周辺の異民族をどうやって手なずけるかの三つです。
しかし、中国にはもはや王朝はありません。その代わり共産党が治めています。それでは共産党は歴代の王朝と違うのでしょうか。
中国共産党の歴史をみてみましょう。
そもそも装備や財力に劣る中国共産党が抗日戦争や国共内戦をどうして勝ち抜くことができたのでしょうか。中国の農民反乱の歴史を見てみればいくらでも似た例を挙げることができます。
また、毛沢東はなぜ文革で知識人を憎み徹底して弾圧を加えたのでしょうか。これまでに知識人を弾圧した皇帝は明の洪武帝、清の康熙帝など何人もいます。かれらは当時の知識人であり官僚でもある儒者を些細な理由から虫けらのように殺しまくりました。文革といえどもいままでの中国の歴史と無関係でないのです。
さて、今の中国は貨殖の時代へと突入しています。グローバリゼーションの時代を迎え、これまでの中国とは全く変わってしまったかのように思えます。すでに中国は世界の工場となっています。はたして中国共産党は王朝交替の歴史から逃れているのでしょうか。いったい中国共産党政権はあと何年持つのでしょうか。
前置きが長くなりましたが、占ってみましょう。
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水雷屯の初爻を得た。
水は雲を示します。雷は振動する様子です。今にも雨を降らしそうな雲がわき上がり、何かが動き出そうとする状態です。つまり屯は物事の芽生えを示します。物事のはじめは多難な時期ですから同時に屯は物事の始まりの困難さを示しています。
初爻をみてみましょう。
「侯(きみ)を建つるに利あり」とあります。新たに諸侯を封じるのがいいという意味です。なにやら新しい指導者が出現するとでもいうのでしょうか。
さらに「貴をもって賎に下る。大いに民を得るなり」とあります。支配者がその地位を失い、民が喜ぶといっています。なんと、革命が起こり中国は民の治める国つまりは共和制の国になるとでもいうのでしょうか。
いえいえ、小生はそうは思いません。そこまで考えなくてもいいと思います。
屯の意味は草創の時の困難ということでした。だとすれば、中国共産党の歴史はこれからということでしょう。政権を揺るがす困難はあります。それは歴代の王朝に共通する問題です。官僚が腐敗し賄賂が横行する現状、チベット独立問題に代表されるような民族問題。歴史を見るかぎりこれらを抜本的に解決する方法はありません。対症療法をやっていくしかないのです。
一番の問題は、膨大な人口をいかに食わせていけるかということです。これができている限り政権は安泰なのです。
ゆえに中国共産党政権は当分の間安泰です。少なくとも小生の寿命といい勝負と易断いたします。
かように占ってみたのですが、やはり小生いつの日か中国が王朝交替の歴史を脱し、真の意味で民の治める国となることを願ってやみません。
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